瀬戸だより 388 of せとものの話をしませんか〜加藤兆之助商店〜

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 瀬戸だより ~せとものについて話しませんか~

388号「岩屋堂の銅像」という話

2013/11/23発行



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「加藤新右ヱ衛門 翁」像。

 先週末はナゴヤドームの「ドームやきものワールド」に行ってきました。なかなか興味深く見てきました。入口入って最初に印象に残ったのが九州・波佐見焼のご飯茶碗の展示でした。元気ですね、九州は。

 岩屋堂のライトアップも始まり、テレビなどでも中継が行われ連日賑わっているようです。今週末が瀬戸の紅葉は見頃ですね。

 その岩屋堂公園の名前の由来になったのが僧・行基に関係する天然の岩屋の祠です。その近くに年を召した男性の胸像があります。以前からその存在は気になっていました。多分、瀬戸の、陶芸界に何らかの功績を残された方なんだろうと思っていました。
 今回、紅葉を見に久しぶりに岩屋堂を訪れた時、その像の近くに解説の立て看板が建てられていました。
 それによると、この像は「加藤新右ヱ衛門 翁」。1847年品野に生まれ、伝家の生業を継ぎ本業を営んでいたそうですが、明治初年に新製染付焼に転じ創意工夫で様々な新手法を生み出しました。明治36年頃より石炭焼成の有利なのを知り、独力で研究。失敗を重ねながら焼成法を会得。その築窯から焼成法までを指導し、この地方に普及させた功労者ということです。
 その後の瀬戸の窯業の最盛期には石炭が燃料の中心になり、多くの煙突が真っ黒の煙を吐き続けていた風景を考えれば、この石炭窯の普及というのは先見性があったということは明らかですね。

 この看板の解説にもありますが、石炭窯の普及のころには染付などの真っ白な焼き物が真っ黒な石炭で焼けるはずはないという、今考えると笑えるような風説が信じられていたと聞きます。当時の頑固な職人気質ということもあったんでしょうね。

 岩屋堂にもみじ狩りの時はぜひこの加藤新右ヱ衛門翁の像を確認してみてください。後ろ側は棚板などの窯道具を重ねた壁になっていますよ。

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