瀬戸だより 356 of せとものの話をしませんか〜加藤兆之助商店〜

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 瀬戸だより ~せとものについて話しませんか~

356号「陶祖伝説」という話

2013/04/13発行



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古瀬戸にある「陶祖像」。

 瀬戸で陶祖といえば「加藤四郎左衛門景正(春慶)」。こうした呼び方よりも、地元では藤四郎さんとして親しまれています。 来週の週末(4月20日・21日)は陶祖まつりとなっています。

 先週も話題にしていた「瀬戸・藤四郎トリエンナーレ」の審査結果が発表されました。作品自体は来週末からの瀬戸市美術館での展示で見ることができますが(4月20日~5月26日)、新聞等の発表を見ると若手から超ベテランの作家さんまで幅広い顔ぶれと、なかなか興味深いものになっています。

 この藤四郎ビエンナーレも含めて昨年から3年間、瀬戸では「陶祖800年祭」として様々な企画が動いています。陶祖の生誕800年記念ということです。明治43年(1910)に春慶翁700年祭が行われ、今回は3年の幅をもたせているようにアバウト800年という感じですね。まあ、謎の多い陶祖ですからそれもしょうがないのでしょうか。

 伝説では「陶祖・加藤四郎左衛門景正は曹洞宗の開祖・道元とともに宋(中国)に渡り、進んだ製陶技術を学び1228年に帰国。瀬戸の地に理想の土を見つけ瀬戸にその技術を伝えた。」となっています。瀬戸の焼き物に関わる人たちにとっては、恩人であり、瀬戸の中心にある深川神社の陶彦社に祀られています。

 しかし、最近では研究も進み史実ではないととらえられているようです。
 藤四郎が宋に渡る以前より瀬戸とその周辺では古瀬戸など施釉陶器の生産は始まっていること。陶祖が瀬戸に技術を伝えたとされる時期において中国からの技術の革新・変化が見られないこと、藤四郎の物語自体が当時の記録にない(江戸時代にまとまる?)、などのことから伝説と考えられるようです。
 私も藤四郎という人物の存在自体は伝説のように思います。しかし、瀬戸の陶器作りの歴史をさかのぼっていけば、その時代時代の瀬戸焼の技術を高めていった数多くの「陶祖」が存在していたことは想像出来ます。その活躍がなくては、絶えることなく日本の陶器産地として瀬戸が歴史を重ねてこれなかったんじゃないでしょうか。
 陶祖・藤四郎を敬うことは、瀬戸の歴史と瀬戸焼の技術を支えてきたすべての陶工たちに感謝することと思うのです。

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