瀬戸だより 167 of せとものの話をしませんか〜加藤兆之助商店〜

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 瀬戸だより ~せとものについて話しませんか~

167号 「瀬戸の地下軍需工場」という話

2009/08/15発行



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瀬戸市民公園の陸上競技場入口。
地図で見るとこの奥右側の山林内が工場跡地に当たるようです。

 今回の「瀬戸だより」をお届けする8月15日は終戦記念日。瀬戸と戦争の話はその時代を生き抜いた方々よりいろいろな話も聞く機会もあります。
 戦時中に金属が不足し、そのため金属の供出があり、金属製品の代用としていろいろなものをせともので作っていたなどということよく聞きます。最終的には硬貨まで陶器で作ることを考えていました。このことは昨年の「瀬戸だより」(112号「何だって瀬戸物で作っていたんだ」という話)でも書きました。

 今回は再び瀬戸と戦争についてです。
 先週末、瀬戸市の水野公民館で「瀬戸地下軍需工場跡を保存する会」の展示会がある、ということで見学に行ってきました。
 地下軍需工場というのは戦争末期、爆撃を避けるため瀬戸市の水野地区などに地下トンネルを掘り、その中で航空機の生産を行なったというものです。終戦を迎える頃には、実際に愛知航空機が爆撃機「彗星」の機体の製造が行ったようです。
 水野地区にあった地下工場は現在の市民公園の陸上競技場の北東あたりの場所になります。トンネルの全長は4000mにも達していて、その工事には朝鮮から連れてこられた人たちもいたと聞きます。

 愛知県内は当時、軍需工場が多く名古屋や豊川など空襲を受けた場所も多くあります。瀬戸は大規模な空襲はなかったと聞いています。戦争に関する施設や工場がなかったからとずっと想像していたのですが、実際はこのような軍需工場が作られ、生産が開始されていたというのはちょっと驚きでした。
 今回の展示でも多くの写真や図面がパネル展示され、工場のトンネルの模型などもありました。また、地下工場の関係資料だけでなく、瀬戸の戦時中の資料なども多数展示してあり、スタッフの方が熱心に説明していらっしゃいました。戦争中の資料の多くと同様に、終戦後に工場に関する資料は焼却されたそうで、当時の関係者などを訪ねたりという地道な収集作業をされているようです。

 記録や人の記憶も風化していきますが、地下軍需工場跡も現在、特別な保存・保護がされていない状態で陥没など風化がかなり進んでいるようです。山林の中にあるトンネル内部は痛みが激しく、立ち入りは危険な状態となっているようです。

 瀬戸地下軍需工場についてはいろいろな方、団体がネットにも情報を上げています。興味のある方、もっと知ってみたい方は「瀬戸市 地下軍需工場」などのキーワードで検索してみてください。このような戦争遺産が瀬戸にあることをまず知ることから始めなくてはいけないようです。

2009/08/15

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