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 瀬戸だより 〜せとものについて話しませんか〜

046号 「鯉のぼりと落武者」という話
2007/04/21発行
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市内中心の墓地の高台から

 4月も半ばを過ぎると、青空をバックに「鯉のぼり」の泳ぐ季節になってきますね。
 実はわが家では男の子が生まれても、鯉のぼりをはじめ端午の節句のお祝いはいっさいしません。これはほぼわが家だけのことで、瀬戸市内では普通に節句のお祝いもしますし、鯉のぼりもあがっています。
 ということで今回は瀬戸の話というよりも、わが家の話になってしまいますが、そんな話にお付き合いください。

 市内中心部にある古い墓地に、落武者の墓があります。
 そこにある「落武者の由来」という碑があります。その碑文によると‥‥
「この墓は守山城主 松平信貞の家臣を祀ったものである。
織田信長と弟信行が戦った稲生合戦[弘治2年(1556年)8月24日]で信行方についた松平信貞は敗れて瀬戸に落ちた 瀬戸追分(現在の十三塚)で13名が自害 1名をこの戦を後世に伝えるためと墓守として品野の方に逃がした しかし宮脇にて村人に刺され前田で討ち死にした
後に村人はこれを哀れみ 墓を建て供養する
落武者命日8月24日 泉霊苑 小澤武夫氏調べ」
(碑文より引用。日付などの数字のみ漢数字を算用数字に変えました)

 その落武者を討った宮脇の何人集とかの中に、わが家のご先祖様がいたようです。


墓地にある落武者の墓と碑

 このような話はいくつかのパターンで語り継がれていることはよくあり、子どもの頃に聞いた話はまた少し違います。
 季節は端午の節句の頃、助けを求めてきた落武者を討ったというように聞いています。その後は落武者の祟りか男の子が生まれても病気になったりということが続き、落武者を手厚く葬ったそうです。そして、その後代々端午の節句のお祝いは行われなくなったということです。
今でもわが家では、端午の節句には特別な飾りや鯉のぼりは出しません。以前はもっと厳しくチマキや柏餅も口にしなかったほどだったとか。

 自分の子どもの頃も、またうちの子どもも端午の節句のお祝いなしに過ごしています。子どもの頃はこの季節になるとちょっとさびしい気もしましたが、考えてみるとこんな言い伝えとかがある家というのはなかなかないわけで、まぁこういうのもいいかなぁ…と今では思っています。

 うちの他にはあまり「節句をしない」というのは聞きませんから、本当にうちだけなのかもしれませんね。

2007/04/21


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